4 Responses

  1. QAZ
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    ねたを明かしていいものか、
    イル・パラッツォですね。
    エッシャーのだまし絵を見てるようです。
    この写真みたいに、
    人の視覚に刺激を与えるファサードのデザインってできないものですよね。

  2. palla
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    いや、逆にそういうものであふれてるのではないでしょうか。心理的作用ばかりが重要視されていることへの違和感をエッシャーを見るとき感じます。
    ごめん、ちょっと反論めいたことでした。でもどう思う?

  3. QAZ
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    エッシャーに限らずだまし絵は、「図と柄が逆転することで違うものが見えるもの」と「異なる平面を(なかば暴力的に)つなぎあわされるもの」、大きく二つのパターンがあると思うのですが、図と柄が逆転する絵は表層の操作に終始しかねないという意味で、最近の建築の傾向と似ているような気がします。
    異なる平面をつなぎ合わせたものは、なぜか子供の頃から惹かれるものがあるんですよね。あれも立体を平面に表現する際の表層の操作と考えれば「図と柄~」のものと大差ないのかもしれません。
    先日のコンペでも、何かあまりにひねりが無いような気がして、何度も何度も反芻するようにエスキスをしてましたが、結局はもとにもどってしまうという悪循環を繰り返しました。
    ところで、エッシャーがだまし絵てきな表現を完結させようとした過程はぜんぜん知らないんですが、アイソメの線を一本引き間違ったときに偶然だまし絵ができてしまった経験ありませんか?
    ずいぶん、長くなってしまいました。今日はこの辺で。

  4. palla
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    エッシャーが単にだまし絵とはいえないのは、その絵の中で採用された状況やオブジェクトさらにはその細部の描き込みの内容が非常に理屈に合わないところにあると思います。だまし絵の構造とは、一見無関係なそれらの描き込みにより、心理的操作以上に重要な側面を描くことに成功している。そんな気がします。